これが林家木久扇の若い頃!
- かつての東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれ、比較的裕福な幼少期を過ごすが、太平洋戦争による使用人の出征や東京大空襲による店の全焼などの被害に巻き込まれ、家族が離散。
- 小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えたことにより、自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つようになる。
- 高校卒業後は「食べ物に苦労しない」という理由で森永乳業に入社。
- 同年8月、森永乳業を退社し、漫画家を目指すため、漫画家清水崑に入門。
- 1958年 漫画が『漫画サンデー』に掲載され、プロの漫画家となる。
- 1960年 師匠清水崑に諭され、落語家への転進を薦められる。
- 1967年(昭和42年)5月、当時の本牧亭席亭の妹と結婚するが、その際に自身の結婚式と他人の結婚式の司会の営業がダブルブッキングしてしまい、自分の結婚式には、新郎席に柳家小きんが代理人として座るという事態となった。
- 1981年(昭和56年)12月、日本で初めてラーメンについての単行本を出し、ラーメン・ブームの火付け役となる。
- 1982年(昭和57年)5月、全国ラーメン党を結成。会長に就任。「木久蔵ラーメン」チェーンの展開を始める。
〈まだまだ若い!笑点メンバー〉
29歳だった1966年から「笑点」に出演されているようです。
〈林家木久扇襲名の時(2007年)〉
〈親子三代落語会のとき(2018年)〉
〈木久扇さんの描く漫画〉
さすがプロの漫画家!素晴らしいですね!
プロ漫画家からまさかの落語家への転身という異例のプロフィールを持つ木久扇さん。
天然ボケのいじられキャラで愛される木久扇さんですが、漫画家・落語家・ラーメン店の経営も行えるなんて、とても器用な方なのでしょうね。
多芸多趣味な面があり、落語界の外に多くの知己を持っているそうで、大御所と呼ばれる年齢になってからも、絵の師匠に弟子入りしたりと意欲的に活動されているようです。
また、『笑点』などでは脱力的なキャラクターが認知されていますが、多くのエッセイや著書においては、キャラクターのイメージとは異なる相当インテリであることを窺わせています。
時代劇や日本史に造詣が深く、NHKの歴史番組などにゲスト出演する際は、笑点でのキャラクターとは別人のような印象。
特に、笑点の夏場の時期は、現回答者の中で唯一の戦前生まれであるためか、「終戦の あの日を思う 暑さかな」など終戦時の回答もよく見られます。
つい先日2023年8月7日には、木久扇さんの語る戦争体験のニュースも話題となっていました。
林家木久扇さん、脳裏に焼き付く空襲の恐怖 戦争に見る人間の愚かさ(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
戦争の記憶がある人々は、お辛くともこんな風にどこかで語っておいてほしい。 https://t.co/wnTt5GhQEX
— mipoko (@mipoko611) August 7, 2023
普段のキャラクターとは違う木久扇さんのお話も、ぜひ聞いてみたいですね。
ビジュアル系の真相は?!
ちなみに木久扇さんの私生活は、常に帽子を目深にかぶり、絶対に有名人であることを悟られないように用心深く過ごしているそうですよ。
お弟子さんもつけないことが多いらしく、かつての漫画の師匠の清水崑からは門弟中に「ひとり高く、孤高であれ、お前さん群れなさんなよ」とよく励まされており、その言葉の影響もあるようです。
プロの漫画家から落語家になった異例のプロフィールを持つ林家木久扇さん。
今後の益々の活躍が楽しみです!
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