【らんまん】イチョウの精虫を発見した野宮さんが可哀そうと話題!実在のモデルは平瀬作五郎!

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NHK連続テレビ小説【らんまん】は、「日本植物学の父」と称される牧野富太郎がモデルの物語

神木隆之介さんが主人公・槙野万太郎を演じ、江戸末期から昭和の激動の時代を生き抜き、明るく草花と向き合い続けた人生を描いています。

その中で、亀田佳明さん演じる”画工”として登場の「野宮朔太郎」が発見した”イチョウの精虫”が、国内外で認められず、東京大学を去ることになってしまったことについて、SNSでは「ひどい!」「悲しすぎる!」などと話題となっています。

ここでは「野宮朔太郎」の発見した”イチョウの精虫”や、なぜ「悲しすぎる!」のか?

また、実在のモデルとみられる画家であり植物学者であった平瀬作五郎についても見ていきましょう!

 

【らんまん】イチョウの精虫を発見した野宮さんが悲しすぎる!

イチョウの精虫って何?

皆さんがよく知っているイチョウの木には、雄株・雌株があります。

実はイチョウには精子があり、昔は精虫と呼んでいたのだそう。

そしてイチョウはなんと”性転換”する木としても知られており、最初にイチョウの精子(精虫)が発見された株は、なんと雌株だったそうです。

イチョウの花粉は、雌の木で成長し、運動する精子(精虫)を形成するというものですが、精子が泳ぎだすことを観察し、精子であることを確証したのが今回話題となっている【らんまん】での「野宮さん」だったのです。

当時の世界的権威であったE. シュトラスブルガー(ボン大学、ドイツ)教授が、受精の詳細を多くの裸子植物で明らかにており、イチョウの花粉が雌の木で成長する様子も観察していたのですが、精子の発見には至らなかったところ、「野宮さん」の実在のモデルである平瀬作五郎が発見するという偉業を果たしたのでした。

平瀬作五郎は、「日本植物学の父」と称される牧野富太郎の同僚だっただったそうで、イチョウの木を調べて、精虫を発見するに至ったといいます。

よく知るイチョウの木に雄株・雌株がある事や、さらには雌株の中で運動する精子(精虫)を形成するなんて、本当に驚いてしまいますね!

現在の東京大学大学院理学系研究科の附属施設「小石川植物園」には、最初に精子(精虫)が発見されたイチョウの木が現存するそうですよ!

気になる人は一度見に行ってみてはいかがでしょうか?

 

野宮さんが「可哀そう」な理由とは!

発見した「野宮さん」の実在のモデルである平瀬作五郎は、元画士

画士は学歴的にみると当時はあまり認められていなかったようで、【らんまん】でも発見したイチョウの精虫について、

「僕らの発見は間違いなく大発見だった。ただ、世界からは相当疑われた」
「本当にひどいのはこの日本国内だったんだ。第一発見者が元画工…。認めないって。」

とすぐには認められなかった様子が描かれています。

そんなことからSNSでは大偉業を成したにもかかわらず認めてもらえず、東京大学へも辞表を出すことになった「野宮さん」に対しての同情が多く広がっているようです!

画士とは、学術標本の図示を担う絵描きの事をいいます。
研究職に就く教授たちの中でも図示が堪能ではない場合、画士によって学術標本などの図示を行っていたそうです。
現代では写真やビデオなどがあるのは当たり前ですが、そのようなものが無い時代にとっては研究職において重要な役割を持っていたと思われます。

「野宮さん」は、元画士ですが、研究員としてもしっかりと成果を出していたにもかかわらず、疑いの目を向けられるとは、さぞ理不尽だったことでしょう。

「野宮さん」の人柄や、偉業に対しての国内外からの仕打ちに対して、今回は「可哀そう」と同情する人が続出したようですね。

 

実際、「野宮さん」(平瀬作五郎)が東京大学を去ることになった理由については、多くの俗説で学歴の故に大学を去らざるを得なかったと説明されていることが多いようですが、明確な根拠のないことだそうですが、この発見を正当に評価していた当時の牧野富太郎、きっと歯がゆい思いをしたのかもしれませんね。

 

【らんまん】実在のモデルは平瀬作五郎!

野宮さんの実在のモデル平瀬作五郎とは?

平瀬作五郎は明治・大正期の植物学者です。

1856年に福井県で生まれました。

1872年に当時の福井藩中学校(現・福井県立藤島高等学校)に入学し、加賀野井成是に油絵を学び、卒業後、同校の中進業生図画教授助手を経たのちに、山田成章の写実派油絵を学ぶために上京。

1875年に、東京での油絵留学から帰郷し、岐阜県中学校図画教授に就きました。

その後、縁あって帝国大学理科大学(現、東京大学理学部)植物学教室に画工として勤務していくうちに植物学に興味をいだき、1893年よりイチョウの研究を始めたということです。

そして、1896年にイチョウの精子を世界ではじめてプレパラートで確認するという偉業を成したという事です!

平瀬作五郎によるイチョウの精子の発見は、のちに池野成一郎によるソテツの精子の発見に先立つ1894年1月であると言われています。

イチョウを観察していた平瀬作五郎は、最初は寄生虫かと思って当時助教授だった池野成一郎に見せたところ、池野は一目見るなり「精子だ」と直感した、というエピソードがあります。

その後1896年10月に「いてふノ精虫に就テ」という論文を発表し、これが世界で初めての裸子植物おける精子の発見となり、池野成一郎によるソテツの精子の発見と合わせて、日本人による植物学への最も輝かしい貢献となっているようです!

平瀬作五郎は、その後東京大学を去りましたが、1912年に恩師ともいえる池野成一郎とともに、精子の発見を高く評価されて、帝国学士院恩賜賞を授与されました。

元画士で、ほとんど学歴のない平瀬作五郎に恩賜賞が授与される、というのは大変異例のことだったそうで、実はウラ話で、はじめは平瀬作五郎の授与は予定されていなかったのですが、「平瀬が貰わないのなら、私も断わる」と池野成一郎が言ったため、2人受賞になったという事ですよ!

ともに研究に励んでいた平瀬作五郎と池野成一郎との信頼関係が伺える、心温まる”ウラ話”ですね!

 

まとめ

画の才能を認められて、東京大学で画士として勤めた平瀬作五郎

研究員となり、”イチョウの精虫”を世界で初めて発見するという偉業を達成するも、東京大学からは去ることとなってしまったその背景には、当時の「学歴」を重視する教育機関や世論があったことが伺えましたね。

平瀬作五郎はその人柄も魅力だったこともあり、【らんまん】での史実に基づく展開にSNS上での「ひどい!」「大発見したのに・・・」という声につながったようです。

よく目にするイチョウの木に、そんな歴史上での出来事があったとは大変興味深い結果でしたね!

 

 

 

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